2004年11月30日

W.B.S. CLASSIC 2004 レポート

 10月9-10日に開催されたW.B.S. PRO CLASSIC 2004は究極のビッグマッチだった。W.B.S.アングラーが最大の目標と掲げるクラシックが、W.B.S.史上最悪のコンディションの下で開催されたからだ。台風の影響で初日が中止となり、最終日だけの短期決戦に。たび重なる増水により霞ヶ浦はまったく別の湖に変貌し、選手は翻弄されずにはいられなかった。しかし「状況が急変した中で競技した場合、誰が一番強いのか!?」という視点で見るならば、もっとも興味のそそられる一戦であったともいえる。

W.B.S. PRO CLASSICレポート 1
変貌した霞ヶ浦


 今夏は大型の台風が連続して日本列島を縦断した。例年であればハワイ沖で発生した台風は、台湾南部を抜けて中国沿岸、韓国の方向へと進む。しかし今年は大陸から張り出した高気圧に押され、沖縄付近で進路を転換。ほぼUターンをするかたちで九州、四国に直撃した。その中でも東日本に最大のダメージを与えたのが、10月9日に関東平野に上陸した台風22号だった。その破壊力はご存知のことだろう。いたる地域で水害をもたらし、台風の怖さ、水の強さ、河川護岸の弱さや“ありがたさ”までもが浮き彫りになった。台風22号は東京湾から進入するかたちで霞ヶ浦南部に横たわる利根川に沿うように太平洋へと抜けた。クラシックが開催された霞ヶ浦上を横断こそしなかったものの、わずか数10km南を通り抜けたのだ。霞ヶ浦に影響が出ないはずがない。
 10月9日、クラシック初日の朝、記者は試合会場となる土浦市土浦新港へ向かうクルマの中、正直不安だった。自宅から会場までは常磐自動車道を利用して約1時間。午前4時集合であったが、途中高速道路が不通になっている可能性も懸念して、自宅を2時に出発した。土浦市内ではいたるところで水路が溢れ、冠水している場所も少なくなかった。「この状態で試合ができるのか?」というのが率直な気持ちだった。
 土浦新港に到着すると、傘をさしていられないほどの暴風雨。水位は通常より約50cmほど高い状態だった。このとき、湖岸で沖を見つめる蛯原英夫さんが目に入った。近寄ると、私に気づいて振り向き「すごい状態だね。でも俺はやりたい。中止になって明日1日だけの大会になると難しくなる」と語っていた。

 W.B.S.横山鉄夫会長が選手を集合させると、“一応”決議によって開催に是非を取った。開催を希望する選手は挙手するようにと言ったとき、私は草深幸範さんが腰近くまで手を挙げていたが、周囲のアングラーが手を挙げていないのを確認して自分も下げたのを目撃した。「ここまで来たのだから、2日間めいっぱい試合をしたい」という気持ちが全員共通のものだったことだろう。しかし、この状況が安全であるはずがないことも全員理解していたのだ。
 こうしてW.B.S.史上初となるクラシック初日の開催中止が宣言された。翌日(最終日)、草深さんは一番乗りで会場に姿を表した。今思い返してみると、彼の多大なるクラシック制覇の意気込みは他の選手と比較にならないレベルだったのかもしれない。

 大会2日め、土浦新港は目を疑う状況に変貌していた。前日の午後に関東を横断した台風の爪痕は、霞ヶ浦の水位を急激に、そして危険なレベルにまで増水させていた。国土交通省茨城県霞ヶ浦河川管理事務所による霞ヶ浦の管理水位は1.1m。 2日前の8日の時点で1.5mに増水、10日の満水時には最高水位2.25mに達した。単純計算で1.15mの増水である。では、水位が1.15m上がると、どう霞ヶ浦に影響するのかを検証したい。

平常水位をAとするとき、満水時をBとする。霞ヶ浦の表水面積(220平方km)をCとするとき、湖の容積(8.5億立方m)でDとする。(B-A)×C=2.53億立方mでEを確保。E÷D×100%=29.8%。 つまり、10日の朝、霞ヶ浦は平常水位より約30%分の水量を蓄えていたことになる。ただし、その後も流入河川から大量の水が流れ込んできたため、最大でどこまで増加したのかは詳細は時間刻みのデータを見ない限りわからない。
 1.15mの水位増により、土浦新港は湖面とほぼ同じ高さに。 霞ヶ浦の平常水位に対し約30%増加した容積率は、湖をまったく別の湖の景観へと変貌させた。たとえば、粗朶消波堤はほとんどが水没し、その上底が微かに水面下に見えるものの、エリアによってはボートで上を通り抜けることも可能なほどになっていた。また土浦新港と石田を結んだあたりに巨大な沖の魚礁が2つあるのだが、これに関してはまったく場所がわからないほど水没していて、航行には充分な注意が必要だった。

 結果としてバスをウエイインできたのは、19名中9名。ひとりで1尾を以上ウエイインした選手が6名(最大で2尾)で、合計でも14尾しかウエイインされなかった。そんな中、第4戦まで年間成績で1位につけながらも最終戦のビッグウエイト争いに敗退し、ボーター参戦2年めにしてアングラーオブザイヤーを取り損ねた草深幸範さんがクラシック初奪冠を果たした。彼の練習量の多さは他の選手も賞賛するほどで、そんな日頃の努力がかたちとなって現れた日だった。

W.B.S. PRO CLASSICレポート 2
平本直仁さんはその名を残せたか!?

 土浦新港から全速力で各選手のボートが散っていった。湖面を走る分には普段と何も変わらない気がするが、竹杭を通り過ぎた瞬間、水面から突出している部分が明らかに短い。航行して5分ほどで最初のエリアに到着。湖岸沿いにある大きな建物から、そこが牛渡の出島ポンプ場であるのがわかったが、沖で一旦スピードを緩めアイドリングでショアに寄って気がついた。ポンプ場を中心に東側に牛渡漁港があり、西側に房中ドックがある。両ドックの間は1m以浅のシャローフラットを形成している。湖岸は波の影響を受けやすいため、岸から数十mのところ粗朶消波堤が設置されているが、増水で完全に水没していた。「スゴい状態ですね」と言いながら、平本直仁さんが苦笑いを浮かべる。
 漁港の前に消波ブロックが並んでいるのが見えるが、ほとんどが水没している。頭が数十cmだけ見えている状態であの消波ブロックがどれだけ本来の役割を果たしているのかわからないが、そんな光景を見つめながらキョロキョロしていると、「ここは普段でも水深がある場所なので、ボートの底は擦らないですよ」と平本さんが声をかけてくれた。ひらひらと手招きするようにショアライン沿いのアシ原が私たちをさらにシャローへと導く。穏やかな湖面と微風に揺れるアシ、水温は19℃。嵐の後の静寂が落ち着かない雰囲気に拍車をかけた。

 このエリアのアシはびっしりと生い茂っているわけではない。護岸と波風の影響で、徐々にその生育範囲が狭まっている。事実、平本さんが目指したスポットはそんな減衰状況にあるアシ原を鉄の矢板で囲ったスポットだった。ただしその矢板も水没し、しかも湖水はマッディでどこにあるのかさえ掴めない。なんとなくボートポジションをアシから数m先につけ、パワーホッグ5inのテキサスリグがセットさせたタックルを手に取った。私も撮影の準備をしようとカメラバッグに手をかけた。その瞬間、平本さんの背中が仰け反っているのが視界の角に入った! 「オォォーーッ! 食っちゃったァ!」と叫ぶ声にすかさずカメラをバッグから引き抜きファインダーを覗く。バスが逃げようともがき、水面に姿を見せた。必死に手早く巻き取り、まだボートからかなり離れた場所にいるバスを強引に引き抜く態勢に入った。私はリアデッキの後方に後ずさり、引き抜いたバスが遠心力で飛んでくる場所から離れた。ところがその瞬間、ラインテンションがゆるむ。「あぁぁ……」と吐息混じりの声を上げて、ズレたワームだけがブラブラと空中を舞った。
 「アイツはノンキーパーだった。うん、ノンキーパーだった……」と自分に言い聞かせてランディングミスをした自分を落ち着かせようする平本さんがデッキに座り込んでいた。
 「あれは、どう見てもノンキーパーでしたよね?」と聞かれ、「えっ? えぇ、そう見えました」と返してはみたものの、私は大会から数週間が経過した今でもキーパーだったのか、ノンキーパーだったのはわからない。

 平本直仁さんは2004年シーズン最強チームとして名を馳せたタイフーン(駐艇場)の一員である。タイフーンには2002年クラシック覇者の大藪厳太郎さんをはじめ、1998年AOYの山本寧さん、200 1年AOYの狩野敦さん、シングル優勝の経験がある松村寛さん、稲葉隆憲さん、荘司雅之さん、そして上位入賞常連の浅井由孝さんや金光忠光さんらが在籍している。そんな強豪犇めくチームに属しながら、平本さんも凌ぎを削ってW.B.S.に参戦し、今年で4年めを迎えていた。
 5月16日、TBCの会場で平本さんの姿を見かけた。彼は今年からTBCにも参戦していたのだ。すでにW.B.S.では2戦を消化しており、その2戦を彼はノーフィッシュで帰着。痛恨のスタートを味わっていたが、このTBC第2戦では5尾で3136gをウエイインし、見事11位に入賞していた。第1戦の戦歴も調べてみると、1尾のウエイインながら57位につけていた。その後、W.B.S.第3戦で2尾をウエイインし、JAPAN OPEN SUPER THREE DAYS(以下:スリーデイズ)を迎えた。この大会に彼は「脱!Typhoon 名も無き虫」というなんとも滑稽なチームを引っさげて参戦した。このときである、私が「あ、今年こそ平本さんは何かやってくれるな」と感じたのは。
 「名も無き虫」といえば、タイフーンの首領として君臨する狩野さんが同じタイフーンの若手メンバーに激を飛ばすように吐いたセリフである。この狩野語録が飛び出したのは2003年シーズンの初頭だった。これを聞いて奮い立った稲葉さんは2003年シリーズ第3戦で優勝、荘司さんもその次大会で優勝するという快進撃を演じた。この年、松村さんはスリーデイズで2位に入賞、2003年度ルーキーイヤーだった金光さんも自力で年間順位枠からクラシック出場を勝ち取り、今年もクラシック出場を決めた。残るは平本さんだけとなり、「名も無き虫」のレッテルが大きくのし掛かった。それで私は「ここに彼のドラマが誕生するだろう」と彼の活躍に注目しはじめのだ。

 「脱!Typhoon 名も無き虫」という崖っぷちのチーム名で出場したスリーデイズの初日、彼は7尾(1デッド)で4380gをウエイイン、6位につけた。2日め、連日リミットメイクに成功する選手が続出する中、彼は2尾で2420gのみのウエイイン。そして最終日、会場は大藪さんの独走優勝予測で沸き返る中、私は平本さんの帰着を待った。彼の開口一番は「やっぱり(僕は)ただの人でした……」であった。それが何を意味していたのかが明確になるには時間がかからなかった。初日リミットメイクに成功して笑顔を零していたアングラーが、最終日ノーフィッシュで帰着。「もう少しで『名も無き虫』から脱することができたんですけど、バスプロと呼ばれるにはまだほど遠いのかもしれませんね」と肩を落としてボートの整理をしていた。

  しかし平本さんは、ここで終わってしまう男ではなかった。TBC第3戦で18位、第4戦で51位に入賞、W.B.S.第4戦では4位に入賞した。TBCの会場で出会ったあの日以来、徐々に成績を延ばしていた。W.B.S.第4戦のウエイイン後、平本さんは年間順位10位につけていた。クラシック・クオリファイは年間成績から上位15名。平本さんと15位の選手とのウエイト差は約300g。1尾のビッグフィッシュで入れ替わる可能性のあるポジションだった。そこで私は平本さんにハッパをかけた。「今年のクラシックでは平本さんと同船したいので、このまま自力でクラシック枠を獲得してください」と。すると彼は「なんとかやってみます。っていうか、絶対(クラシック枠を)獲りますから、取材をお願いします」と力強い返答が帰ってきた。

 クラシック最終日の朝、10投もしない間に1尾をバラした平本さんではあったが、何度かエリアを変えながら、また牛渡のブッシュへ戻った。私はここでひとつ思い出した。試合の数日前に平本さんは「西浦はあまりやったことがないので苦手」と話していた。駐艇場が霞ヶ浦南方に所在するため、ここ数年間、南岸エリアを重点的に釣り込んできた。「台風が接近しているから、試合自体の開催も危うい感じがしますよね。もしエリアを限定して開催されて『西浦だけ』になったら、自滅するしかないです」と漏らしていた。そこで野暮ではあるが聞いてみた、「プラクティスで調子がよかったとおっしゃってましたが、どうして南岸に行かないんですか。今日は西浦が中心ですね」と。すると「たぶん南岸は川のようにガンガン水が流れていて、いつもの霞ヶ浦じゃなくなってると思います。金曜日のプラでそれを予測して西浦のエリアをカバーしたんですけど、ここは風裏だし、バスの活性も高かった。もう僕にはここしかないという感じです」と語った。
 平本さんの読みは的中していた。南岸に直行したアングラーに話を伺うと、増水と流れでまったくパターンが掴めなかったそうだ。そして牛渡エリアには荻野貴生さんや鳥澤徹さんをも入っている。最終的に平本さんは田村エリアに移動するわけだが、ここはクラシックを制覇した草深幸範さんが陣取っていた場所だ。エリア的に平本さんの選択は正解だったのだ。しかしほんの一瞬の判断ミスが、初めてのクラシックを苦い思い出に変えてしまった。

 試合後、「何も見せられなくてスイマセン」と恐縮していたが、私はこのワンシーズンを通して多くのことを平本さんから見せてもらった。自分の可能性を再確認する意味で今年から参戦したTBC、そしてJB時代を含めプロトーナメント10年めのキャリアにして彼は大きな転換期を迎えた。そんな重要な彼の1年間を記者として見続けて、私が平本さんと同船したのが間違いではなかったと確信できた。彼ほど印象に残るアングラーも珍しいと思った。

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Posted by DODGE at 2004年11月30日 09:10 in スナップショット, 国内トーナメント

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